
夕刻が駆け足で迫る季節。
嶋田マートの看板が粉雪に飾られた。
白い息が口先から登って雪の、大気の中へ溶けていく。
駐車場の端、立ち尽くすソバカスの目立つ少年の横顔は、ほんの半年の間に急激に大人に近づいた色を秘めていた。
それに気が付けるのはそうと知って“この眼”が彼を見ているからか。
容貌事態はそう変わったようには見受けられない。
身長も。
グッと成長したのは寧ろ、彼の内面の方だった。
それが薄らと瞳の光の上へ膜のようにヒタリと張り付いている。
そんな原因の一端を担った悪い、大人は。
仕事用の笑顔に黒い物を混ぜた。
それから精一杯、優しい笑顔を作り上げ子供を怯えさせないよう“良いお兄さん”の仮面をかぶる。
「忠、」
少年の殻を脱ぎ落そうとするかのような彼の背は今は、寒さでほんのちょっぴり猫背になっている。
それがシャッキリ急に背筋を正す。
振り返る瞳にはとてもじゃないが、女の子のような愛くるしい可愛らしさは見られない。
実に凡庸な顔つきだ。
その顔が自分を呼んだ相手を認識した途端にキラキラと子供らしい輝きを取り戻し、「嶋田さん!」と子犬のように駆けてくる様はいっそ、哀れで滑稽ですらあった。
「すみません、お店の前に陣取っちゃって…。今日少し、部活の片付けが早く終わったんで、」
「いいよ。それより大丈夫か?こんな雪の中…。仕事終わるまでもうちょっと時間あるんだし。どうせなら店の中で待ってればいいのに」
「いえ、その…。なんか買い物もしないのにお店の中うろつくのも悪いかなって」
「子供が遠慮なんかするんじゃないよ。ほら、休憩室なら誰も文句言わないだろうしあがれって」
いいんですか?と困惑しながらも断り切れずにおずおずついてくる少年の手を、さりげない動作で緩く掴む。
冷え切った氷のような指先が細いツララのような感触だった。
長い間、彼が粉雪を頭に積もらせながら我慢強くそこに立ち尽くして待っていた事は、知っていた。
ずっと本当は仕事中、彼がそこに立っていたのを見ていたのは己の両目だ。
パートのおばさんが見るに見かねて「中に入れてあげたら」ととても親切に声をかけてきてくれた事を覚えている。
それを「アイツ変わりモンで。あーしてるのがスキなんだそーです」と嶋田の口が如何にももっともらしく牽制した事を少年は知らない。
待ち人の仕事が終わるまでジッと寒さに耐える少年の姿は年相応に健気で寂しげで。
勘違いだとわかっていても、そうやって待たれている身としてはその境遇は決して悪いものではなかった。
彼は勿論、自分を待っているわけではない。
彼が待っているのはただ、自分に“技術を与えてくれる誰か”だ。
おそらくその相手は自分でなくても一向に構わないはずだ。
それでも。
そう知っていても、わかっていても。
雪の中で自分の為に、懸命に耐えるその横顔が、たまらなくて。
「…嶋田さん、なんか機嫌いいですね」
何気なくかけられる幼さの残る声に「いい事があったからな」と気負いなく返す。
教えてくださいよとねだる純粋な笑顔に秘密だから駄目だと笑って首を振って、休憩室の扉をギィと開けた。
「ウワァあったかー」
寒さで真っ赤なほっぺたをしていた少年が室内の温かさに感激し、地味な顔立ちをパッと輝かせる。
仕事用のエプロンをしたままの此方を振り返り「でも本当にいいんですか?」と遠慮がちにかけられる声は遠慮しながらも追い出される事にかすかな恐怖を覚えているソレだった。
生来の弱気が眉をハの字に下げさせている。
その、本人さえも自覚していない恐怖にゾクゾクとした征服感を瞳の底で覚える。
今この瞬間に「出ていけ」と言い放てば、途端に、愕然とした顔をして、それでも、逆らう術を持たない子供は「はい」と従順な返事をしてトボトボ落ち込んだ背中で出ていくのだろう。
何故、自分がそんな“イジワル”をされるのか疑問を疑問のままに抱いて。
「嶋田さん?」
いつまでも。
扉の隣りに立ったままでにこやかな笑顔を崩さずしかしなんの答えもくれない“大人”に対して、疑問を覚えた少年の不安そうな顔に僅かだか支配欲求が満たされた。
「お前に、風邪でも引かせたら繋心に殴られるからな。自由に使っていいから。宿題でもして待ってな」
「あ、はい!ありがとうございます!」
窓の外には白い雪がチラチラと積もっていく。
特訓の後はきっと、送っていく事になるだろう。
学校鞄を休憩室の隅に置いて、冷え切った手に息を吹きかける少年の顔。
人を疑う事を知らない子供のソレ。
ソレが自分の手の中にある。
じゃあまた後でな。と一言いいおいてバタンと休憩室の扉を閉ざす。
少年はきっとその扉の向こうで鞄から引っ張り出した宿題にシャーペン1本で立ち向かっている事だろう。
休憩室の扉を閉める瞬間、まるで小さな雛鳥を鳥かごに閉じ込めるような錯覚を感じた。
征服欲が、ゾクゾクと下腹部で蠢く。
可愛い子ほど苛めたくなるとは、よくもまぁ言ったものだけど、たぶん、自分のコレとその言葉の間には非常に大きな差異があるに違いない。
だってソレは認識してもらう為の健気で不器用な行為とは真逆に位置する。
認識されない部分で支配し、器用に立ち回って些細な虐待を繰り返す。
純粋な征服欲と加虐心は性欲と直結するものだった。
純粋で汚れを知らない彼の心をめちゃくちゃに踏みにじり壊したいわけではないが、どうしようもなくソレを欲する血の渇きに狂おしい恋慕の情を重ねた。
例えば彼は、突然頬を張られたら一体どんな反応を示すのだろう。
例えば突然、痣になるほど乱暴に腕を掴み上げられたなら。
衣服を剥がれ、白い胸を電燈の下に晒され、血が出るほど強くその肌に歯を突き立てられたならどんな顔で、声で泣くのだろう。
想像の中でひとつ、ふたつ、みっつと白い腹に青黒い痣を作りあげていく。
腕には縛った赤い跡。
肩には噛み傷。
腿には爪の食い込んだ痕跡が浮き…。
臍の辺りに白濁が散る。
まだ見たことのない表情だけがどうしても想像だけでは補完出来ず、また湧き起こる渇きを生唾と共に飲み込んだ。
あんな子供に欲情するなんて。
きっと自分はどうかしている。
「…あー、駄目だ。どっちみち繋心に殴られる。」
ポツリと零した独り言は聞く者もない。
店内のBGMがようやく鼓膜に届いてきた。
仕事をしなければと営業スマイルが自然と浮き上がる。
長年染みついた頬の筋肉運動だ。
ああ今日はとっとと仕事を片付けたい。
珍しくそんな事を言葉として認識する。
早く早く仕事を終えてあの子と二人、楽しい事を。
本当はまだ、そんな勇気は無いけれど。
終
※嶋田さんキャラ崩壊注意。
嶋田さんが気づかれないよう山口を虐待する話。