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教師が笑顔で発した言葉の意味がまず理解出来なかった。
うまく聞き取れなかったわけではない。
言われた内容が把握出来なかったわけでもない。
 
これが現実だと思いたくない頭が耳から侵入する“音”を拒否しただけだ。
 
少年たちは互いの体温がガクリと下降していく感覚を味わいながらその音の本流をジッと沈黙を守り受け入れ続けていた。
 
強制的に呑み込まされる汚濁の味は苦く、鉄臭い。
それが現実である事を信じたくなかった。
悪夢の只中に投げ込まれた気分だ。
 
涙が溢れ、鼻をすする音が彼方此方から静かに響く。
 
それでもひとつの単語も聞きもらさぬよう、彼らは必死になって全ての内容に耳をそばだてていた。
 
生き残る為に。
赤い液体が濡らす床の上にしっかりと2本の足を突き立てて。
 
ルールはそう多いものではなかった。
実質的には無いとも言える。
だが破ってはいけない決まりはある。
 
端的にまとめると以下のようなもの。
 
その1。
この島から脱出しようとしない事。
 
その2。
つけられている首輪を無理に外そうとしない事。
 
その3。
タイムリミットは3日間。
校舎を出た瞬間から椅子取りゲームの開始となる。
 
全ての事態を飲み込んだ彼らは、絶望という言葉の意味をその日、知った。
 
 
 
 ~・~
 
 
 
「ふ…っ!!」
 
奥歯をきつく噛み締めて。
合宿用の鞄ともうひとつ、支給されたデイバックを抱えて飛び出したのは夜の暗い校舎の裏だった。
 
いつ、だれがどこから襲ってくるのかもわからない。
どこから狙われて、“殺される”やもしれない。
 
そんな中で小さいとはいえ校庭を突っ切る勇気なんて到底、あるはずもなかった。
 
心臓がドクドクと脈打っていた。
今なにが起こっているのか、バレー以外にほとんど使った事の無い頭がフル回転で稼働し続けていた。
 
闇に沈む裏門は当然のように夜の黒で塗りつぶされていて、かすかな頼りは薄い三日月の仄かな白い灯り、ただそれだけ。
チラホラと木々の間から覗く黒い夜の空に星々が散っているが、そんなもの、なんの希望にもなりゃしない。
 
他には頼るものも無いさなかを全速力で風を切りつつ突っ走る。
 
影山には、まだ、今が確かな現実だとは信じきれないままでいた。
 
黒地の服な為見えにくくはあるが点々と小さな赤色がこびりついている自覚はきちんとある。
公式試合をする時の、ユニフォームだった。
 
校舎を出てすぐ、飛び出したのは夜のほそっこい砂利道だ。
どっちへ向かっているかなんて最初から知るわけも無いし知ったところでなんの意味がある?
 
走るたび足元で小石同士がぶつかり、規則正しく靴裏でジャッジャッと音を立てるのがどうにもうるさく誰か、それも自分より先にあの校舎を出た誰かに聞きとがめられやしないかと不安が脳の奥底でとぐろを巻いていた。
 
ジャジャジャッ!と小石を巻き散らかす音が林の木立の中で反響する。
 
「っ!?」
 
走るその足が急ブレーキ。
土煙を上げて停止する。
 
意識して行った行動では無かった。
茫然自失、真っ白な頭で立ち止まったままソレをジッと見つめる。
 
見覚えがあると、確かにそう思ったその思考は決して間違っていなかった。
 
全身全霊全速力で駆け続けていた影山の足を強制的に立ち止まらせるに至ったその原因はチョコンと道のド真ん中、座り込んだ見慣れた小さな背中だった。

右手には汚いライオンのヌイグルミがしっかと握られている。
 
夜の中にも溶け込まないソレ。
明るい太陽のような髪色は決して見間違えようなんてない。
コートの中で、自分を信じ、信頼して、全力で飛び込んでくるクソがつくほど真っ直ぐで小さな大馬鹿野郎。
 
「なにしてんだボゲ!!」
 
相手が誰かわかった途端、なんの警戒もなく己の足がソイツに向かって駆けていた。
 
もし相手が、自分に対して敵意を剥きだしにしてきたら。なんて微塵も考えやしなかった。
 
肩を掴まれたソイツが夜を切り裂くような悲鳴を上げるのを無理矢理後ろから口を塞ぐ形で黙らせ、暴れまわる体を両腕の中に拘束する。
 
俺だボゲ!!と数度その耳元でギャアギャア怒鳴ってやらねばならなかった。
 
暗さからか緊張からか。
光を取り入れるため肥大化した瞳孔がギラギラする瞳で影山を認め、手で塞がれていた口が呻くのを辞める。
 
髪と同じだけ明るい色の瞳は、今や光を失いかけていた。
大粒の水晶のような涙がそこからみるみる溢れて頬を滑り、影山の手の甲をヒタヒタと濡らす。
 
誰か、他の奴と間違えたのかと思うような表情に影山が一瞬だけたじろぐ。
しかしすぐ、ああ確かにコイツは日向だとバカみたいな再確認を自分の中だけで行う。
 
「…日向、おい、叫ぶなよ?」
 
一応、そう念押ししておいて、そろりと拘束していた手を放す。
日向は声の出し方を忘れたのか口を何度かパクパクと開閉してからようやく一言、
 
「田中さん、が、」
 
と、零した。
 
日向の、ヌイグルミを持っていない方の手の平はべったりとまるで、紅葉みたいな赤色になっている。
 
言わんとする事は影山にも痛いほどにわかった。
喉の奥に苦い味が広がっていく。
 
だが、今は、言っていられない。
悲しむ時間さえ惜しいのだ。
 
生きたければ、走らなければ。
 
「…立て!」
 
無理矢理赤い、日向の手首を掴む。
座り込んでいたのは気力が折れた為でどこか怪我をしたからというわけではなさそうだった。
 
力任せに腕を引き、
 
「行くぞ!!」
 
日向の手を取り走り出していた。
このままここへ置き去りにすれば、死ぬかもしれないと本気で思ったせいだ。

 

ブラブラその手にぶら下がっているヌイグルミを捨てろと影山は言わなかった。
 
片方の足音はヨタヨタと。
もう片方はそれを引きずるように夜の砂利道をひた走る。
 
生き残る為に。
しかし彷徨うように。
 
今日はちょっと皆さんに殺し合いをしてもらいたいと思います。
 
にこやかにそう言って自分たちを送り出した教師の、言葉がまだ耳の奥で反響している。
 
奥歯をきつく、きつく噛み締める影山の手に手を引かれながら「俺のせいだ」と呟く日向の首には銀色の首輪がかかっていた。
 
まったく同じものは影山の首にもしっかりとその重みでもって圧し掛かっており、今は静かに沈黙を守っていた。
 
 
 
 ~・~
 
 
 
校舎を出た瞬間、ゲームは始まる。
百も承知だったからこそ、山口は走りながらデイバックの中身を確かめようとした。
 
首輪の違和感が気持ち悪い。
三日月が空で笑っていた。
生温い夏の風がびっしょりと冷や汗に濡れた額を撫でていく。
 
夏の虫たちが軽やかな求愛の音色を奏でる中、一体何人が必死になってこの道を駆けているのだろうかと、カチカチ鳴る奥歯を噛み締めた。
 
「く…そッ!!」
 
どうしてこうなってしまったのだろう?
 
昨日まで当たり前だったと思っていた日常がある日突然、前触れもなく崩壊する。
その瞬間に立ち会わされて尚、まだ全ての現実は瓦解していないと信じている頭のどこか甘い部分が希望を探し、諦めない気持ちが更なる苦痛で胸を刺す。
 
暗い道を駆けながらデイバックの中身を懸命に確かめる視界がぐにゃりと曲がり、疑問符が頭の中に満ちた。
パタパタと頬を滑ったソレが涙だと気が付いて情けない気持ちが喉の奥でしこりのように塊となって詰まる。
 
なにもかもが信じられなかった。
 
山口が眼を覚ましたのは、暗い、夜の教室の中だった。
正確には、天井の蛍光灯が煌々と輝いていたので決して本当の意味で暗かったわけではなかった。
暗かったのは、なんというか、そこに溜まっていた空気だ。
 
目が覚めてすぐは「あ~また授業中寝ちゃったのかー」と、その程度にしか思わなかった。
 
外が夜である事に気が付いてはいたし、どうして、先生の姿がないんだろうとは思ったが目覚めてすぐの脳味噌は正常な働きを取り戻すのに時間を要した。
 
そこは至ってなんの変哲も無い教室だった。
生徒用の机がピッシリと並べられており、そこに銘々の生徒が思い思いの恰好で座って静かにしている。
 
正面には大きな、白っぽい汚れの浮いた黒板があり、右手側におそらく廊下側の窓、左手には夜空を映す窓がある。
どうしてか教卓の上に馬鹿デカイ、ブラウン管テレビが乗っているのが気になるが、だからといって何がどうという話でもないだろう。
振り向いてはいないが、教室の後ろには鞄を置くためのロッカーなり掃除用具入れなりがあると簡単に予想のつくそこは、しかし見知らぬ教室であると山口は夢現の状態でもわかっていた。
床から立ち登るワックスの香りがまったく嗅ぎ慣れないソレだったからだ。
 
意識の朦朧とする頭をガリガリと掻き、ボサボサの頭を更にぼさつかせる。
 
ここ、どこだろ?
 
寝ぼけた頭で周囲を見回してキョトンと目をしばたかせる。
 
教室には、澤村や月島、日向や影山といった烏野のよく見知ったチームメイトたちが揃っていて、教室の端の方には清水と、それから谷地もちゃんといる。
どうしてか、音駒のメンバーもいた。
 
そっか、東京遠征。
 
徐々に戻る記憶の端で閃いたのは、自分たちが東京遠征へ向かうバスの中にそういえば居たのだという事。
 
朝、目が覚める頃には到着している予定だったはずだから、音駒の面々が居たって別に不思議はないと思いなおす。
 
しかしそれでも違和感は拭えない。
 
「…なんで、」
 
起きて最初に発した声はどうしてかカラカラに乾いていてケホケホと軽く2回ほど咳き込んでしまった。
 
なんでみんな、ユニフォーム着てるんだろ?
 
言いかけた言葉は生唾と共に飲み込まれる。
山口が見廻す範囲にいる全員が、どうしてかユニフォーム姿だった。
清水と谷地、それから更に離れた場所にいる女子生徒は学生服姿だ。
 
キョロキョロ見回す中には、知らない学校のユニフォームがチラチラと混ざっている。
書いてあるロゴを読む限りは、どれもJOHZENJIと読めるが…。
 
「あれ…?あ、れ?」
 
そして、その場の全員が、
 
「みんな…?あの、あれ?」
 
全員が、机に突っ伏すように、椅子に凭れかかるように、項垂れるようにして、一様に眠っていた。
 
教室は怖いほどの静寂の中にあった。
 
あの瞬間、脳の奥で何かが弾けたような感触を覚えた。
炭酸水を目の奥に流し込まれたような異様な感覚と貫くような寒気。
 
何かキラキラする物が、蛍光灯の光に反射しているなと思ったのは眠り込む全員の首にかけられている、なにやら、首輪のような物だった。
自分の首にも手をやって、ゾッとする。
 
鉄の輪が、ヒヤリとした感触で山口の指先にしっかりと触れた。
やぁおはようと挨拶でもしてくるように。
 
もしあの時、衝動に任せ立ち上がり教室を後にしていたら、自分は一体どうなったのだろうと考えかけた思考が激しい息切れの中で胡散霧消してバラバラになっていく。
どのみち、月島を置いて山口が独りで逃げ出すなんて選択、出来ようはずもなかったのだけれど。
 
みんなの寝息と、野外の虫たちの優しく軽やかな求愛の声。
ポッカリ空に浮く三日月が赤い色に染まってニタニタ笑っている。
 
ドクドク早くなっていく心拍数。
 
山口は、ただ、黙ったままで震え、これから起こる事態に恐怖した。
両目をカッと開いたまま、両膝に両の拳を押し付けて背筋を伸ばし、ジッとテレビの表面を見つめる。
 
睨みつけていたと言ってもいい。
 
ともかく、
 
そこには、穏やかな眠りの中にいる他の生徒たちが、そう、まるで。
 
鏡の世界に閉じ込められてでもいるみたいに四角い枠の中に押し込められテラテラ映し出されており。
 
ただひとり、山口だけがその中で青ざめた表情をして“此方の山口”をジッと、灰色の表面から凝視してきていた。
  
 
 
 ~・~
  続
 ~・~
 
  

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